へんぽらいさんの公開日記
空蝉
浅間大社境内での定例囃子練習は毎月2日ほど行われている。
囃子は通常それぞれの祭り組(連)ごとに保存伝承されていて、それぞれが微妙に異なりそれが個性となっているものだが、浅間大社青年会の囃子練習はそれぞれが違う祭り組に所属している者達が互いに刺激し合って技術向上に励んでいる。
クセが違えば合わないことも多くそれが当然なのだが、それを超越してお互いに歩み寄り一緒に囃すことを楽しみとしている。
この練習場所の左手前に大きなオガタマノキがあり、今はあちこちに赤い実が落ちている。
昨年の夏のことだった。
この練習をしている石畳にアブラゼミの幼虫が迷い込み、這い回っていたので、オガタマノキに放ったところ、なんとか無事に羽化できたようで翌日には抜け殻になっていた。
玉砂利だらけの境内で土から這い出て木に登るのもかなり辛そうに思える。
でもけっこうの数の抜け殻が見られ、毎年ここでもセミが命を繋いでいるのだなと感慨にふけった。
やがて秋冬が過ぎ春となり、桜の開花も間近い時、抜け殻が2つしっかとしがみついているのに気付いた。
頑張っているなと思いながら毎月の囃子練習で注意して見てきたのだが、冷え込みがきつくなったこの11月にも2つの抜け殻は朽ちもせず、1年3か月経った今もまだそのまま残っている。
この殻を脱ぎ捨てたセミは短い成虫期を謳歌して朽ち果て、すでに残骸すらも土に帰ったというのに、実体の抜けた外殻だけがそこに姿を留めているというのも不思議な思いがする。
空蝉とはwikipediaによれば、
* この世に生きている人間。古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの。転じて、生きている人間の世界、現世。うつそみ。
* セミの抜け殻、またはセミそのものを指す夏の季語。
だとか。
セミの抜け殻もこの世に生きている人間や人間の世界も、共通するものと言えば空虚だろうか。
この抜け殻が、一体いつまで頑張れるか見守っていきたいと思う。
へんぽらいさん、晩秋に相応しい詩的な日記ですね。
美しい季節の移り変わりが窺い知れます。
浅間大社の木にしがみついたままの空蝉、精一杯生きた証のようです。
私も現世を一所懸命、生きていかねばと、再度思いを巡らせました。
へんぽらいさん、あさぎりさん、
詩人?哲学者?^^
”空虚”と聞くと僕なんか一瞬ネガティブな方にいっちゃいますが(どうせこの世は”無”だったらどうでもいいや~みたいな)、そこから
>この抜け殻が、一体いつまで頑張れるか
とか
>私も現世を一所懸命、生きていかねば
という思考にたどり着かなきゃならないんですね!
お囃子の練習の風景、楽しそうですね。
和気あいあいとした雰囲気が伝わってきました。
蝉の脱殻、こうやって寒い時期に見ると感傷的な気分になりますね。
蝉は、忍耐と我慢、命の尊さと儚さの象徴のような気がします。
転がった蝉を見つけると、つい手が・・・もう助からないんですけど。
私も夏の思い出が残っていました。
絵は綺麗じゃないですけれど。
>>1 あさぎりさん
私もそうですが、
老境にいたると人は何かを残そうとするもののようです。
何を残せるかはわかりませんが、
実体が消滅した後も形を留めるような何かを心したいと思います。
>>2 ジュニアさん
別にこうでなきゃならんとか言うものではありません。
何を感じるかは人それぞれですから、
それぞれの感想などをを聞くのも面白いです。
何かをとっかかりに発想を広げていくのは楽しい物ですよ。
>>3 ぽちさん
笛の吹き始めに音がかすれ、みんなが苦笑しているところなんです。
昨日、これを書いた後で外出したところ、
学校帰りの子供が抜け殻を見つけたと騒いでいました。
夏場の抜け殻は当たり前でも、
晩秋の候となって見つけた抜け殻には
子供なりにも感ずるところはあるのでしょうね。
へんぽらいさん、ありがとうございます!!
セミの抜け殻って、結構凶悪?(^^)な形なんですね。
もう少し平和な形かと思っていました。(^^;)
さすが、仮面ライダー・・・!?














